サポかな
掲載日:2021年12月 2日
「サポかな」こぼれ話~明治維新の立身出世から130年。総合園芸業のトップランナーとして走り続ける横浜植木(2)
日本初の越境カタログ販売は園芸品?!
日本のユリが世界から注目されるきかっけは、明治6年(1873年)にオーストリアのウィーンで開かれた万国博覧会への出品だといわれている。明治23年にサンフランシスコに支店を開設した有限責任横浜植木商会(のちの横浜植木)は、ユリの球根を中心に多くの植物貿易を開始。そして、海外からのユリやショウブ、シャクヤクといった植物の受注に用いられたのが、英文カタログだ。カラー写真がない時代に、植物を描く専門の職人たちが活躍したという。
アメリカの検査官も感嘆の声を上げた
その後も植物を通じて日本と世界の架け橋となってきた横浜植木。日米友好のシンボルとして今もワシントンのポトマック河畔の春を彩る桜並木は、皆さんも良くご存じだろう。明治45年(1912年)3月にワシントンに到着した苗木の輸送に携わったのも当社だ。実は、最初に輸送を請け負った業者の苗木は、病害虫による被害を受け全て焼却処分となっていた。
指名を受け、創業当時から培ってきた技術を駆使した方法を模索。土を取り除いた状態で送ることは至難の業だったが、1ヶ月間の渡航を完了させる。途中には赤道付近も渡ったが、船倉の喫水線以下に積まれ適温を保つことにより、1本たりとも枯れや腐れ、病気がなかった。これにはアメリカの検察官も感嘆の声を上げたという。
この桜の芽が付いた頃、横浜植木の初代 鈴木卯兵衛氏は情熱に溢れた生涯を終えた。
ー明日のスタッフブログに続く
(取材日10月8日)―「サポかな」12月号【原寸図鑑】、ぜひご覧ください。
「サポかな」こぼれ話~明治維新の立身出世から130年。総合園芸業のトップランナーとして走り続ける横浜植木(1)