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スタッフブログ

サポかな
掲載日:2022年1月31日

「サポかな」こぼれ話~浄水施設の心臓部「ろ過砂」で日本の水を支える  ―日本原料(1)

「ろ過砂の廃棄ゼロ」を実現し、持続可能な水道事業に貢献する日本原料。「サポかな」2月号誌面に収まり切らない逸話をご紹介します。

(取材日:2021年12月21日)
            ―「サポかな」2月号は明日2月1日(火)に公開します。お楽しみに!

「日本に戻れたなら、水道水事業に身を捧げよう」

創業者の齋藤廣次氏は、1939年に知人の紹介で鋳物や建材用の“砂”を扱う日本原料を興した。だが、既に同業者が多く、仕事を取るのに苦労する。そんな時、川崎市長沢浄水場の大規模改修事業の話が舞い込んだ。
浄水場の「ろ過材」となる砂の製造は、晴天下でふるいにかけ、粒形を均一にし、しかも大量に揃える必要のある難しい仕事だった。なんとか納品し、「ろ過砂」というジャンルに活路を見出そうとした途端、届いた召集令状。
廣次氏は、捕虜となっていたニコバル諸島で終戦を迎える。引揚船には飲料水がなく、衰弱していく人たち。水がないことで地獄を味わった。「日本に戻れたなら、水道水事業に身を捧げよう」。

GHQからの要請

帰国後は、ろ過の仕組みを学ぶことが生きる目標となった。そんなとき、GHQから呼び出し電報が届く。戦地で何をしたというのか? 胸に手を当てても心当たりはない。が、生きた心地はしない。部屋に招き入れた技術本部の将校は言った――「サイトウサン、ヨクキタネ」。空爆した浄水場を再建、新設して日本全国に安全な水を普及させるという。浄水施設の心臓部となる「ろ過砂」の協力要請だった。
アメリカ式の「急速ろ過」に適した“砂”を求め、廣次氏はリュックを背負い全国行脚する。そして福島で、ろ過に最適な砂が3割以上を占める海岸にたどり着いた。
それから25年。浄水場は国内に3,000以上整備され、日本原料はろ過材のパイオニアとして水道事業の基盤を支えた。ものづくり精神でろ過技術を追求し、特許を80件も取得した廣次氏が亡くなった1970年当時は、本社を赤坂に置き、水道界で知らない人はいなかった。

(明日のスタッフブログに続く)

日本原料株式会社

https://www.genryo.co.jp/

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