メニューを飛ばして本文へ



理事長のひとりごと

 印刷する 

2011年2月1日 「富士山」

  私の事務室はJR関内駅近く、神奈川中小企業センタービルの二階にあり、窓からはJR京浜東北線の高架橋を少し見上げることになる。目に映る景色としては、今ひとつというところであるが、執務環境としては、日も良く入り上々と言える。このJR京浜東北線には、毎日の通勤でお世話になっているが、山手駅と根岸駅の間、国道十六号と交差するあたりで、車窓から横須賀方面に目を向けると、富士山の姿が見えるときがある。

  右側の裾野部分が、少し街の景色で遮られているが、今の時期、朝だと、雪を冠った富士が、青空をバックに明るく日差しに輝き、夕方は、夕焼けの空に、濃い茶のシルエットとなって浮かんで見える。 見えるのはほんの数秒のことではあるが、富士を見たときは、私は何とはなしに得した気持ち、嬉しい気持ちになる。そして、朝であれば、今日一日、上手くいきそう、頑張ってみようと思えたり、夕方だと、ホッとして、一日の疲れが少し軽くなったような、そんな感慨を持つのだが、他にもこんな感想を持たれる方がいられるのではないだろうか。

  この富士山、一富士、二鷹、三茄子、ご存じの初夢に見ると縁起の良いと言われるものの第一位にあげられているが、古くは、万葉の時代から和歌に詠まれ、また、浅間神社や富士塚、富士講など、信仰の対象としても、そして、北斎の富嶽三十六景や広重の不二三十六景の浮世絵などのほか、絵画や写真でも多くの人を引き付けており、人の様々な思いの対象として扱われた数は、きっと、第一位にあるのではないかと思える。

  富士山は、高さ、3776m、山梨県と静岡県にまたがる休火山であり、1707年、旧暦の十一月、宝永の大噴火を最後として、大きな活動は収まっている。今の富士山は、その時から変わらない姿を見せており、また、神奈川県民が毎日飲んでいる水の多くは、相模川と酒匂川の河川水であるが、この二つの河川の源流は富士山麓に発している。富士山の恵みを身体に取り入れているのである。

  富士山は、障害物さえ無ければ、200km離れていても見えるとのことで、そのため栃木、茨城、長野、愛知の各地や伊豆七島の利島からも見えるようだが、最も遠い地点としては、なんと、322kmも離れた和歌山県の妙法山から見えるとのこと。私が見ている車窓からの富士は83km前後の距離にあり、かなり近くである。

  また、富士山は、毎日見えているわけではなく、東京からのデータでは、月ごとに比較すると、1月が一番多く見えていて、6月が一番少なく、ちなみにその回数は、一月が、二日に一度以上、かたや六月は、月に一度見えるかどうか、とのこと。やはり空気が澄み湿度の少ない冬に多く見えるようである。 こうした富士山も、近づいてみると、自然環境の保全、ゴミの不法投棄、自動車の乗り入れ、大沢崩れのほか、沢山の課題を抱えている。利用者のマナーで解決できることもあるようである。

ふじの山(文部省唱歌)
1 あたまを雲の 上に出し
四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山    
2 青空高く そびえ立ち
からだに雪の 着物着て
霞のすそを 遠く曳く
富士は日本一の山

松藤 静明


2010年11月8日 「秋」

  すでに、北海道や東北からは雪の便り、東京でも木枯らし一号が吹いたし、先日は富士山も雪の帽子を冠っていました。でも、まだ11月の初め。ここにきてやっと、各地から紅葉の話題が聞こえ始めたような気がします。これからしばらくは、晩秋の奥深さを味わいたいものです。

  日本の秋には、「芸術の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」「収穫の秋」「行楽の秋」「食欲の秋」に「味覚の秋」等々、様々な表情の秋があります。ところで、他の国々にも、こうした秋、あるいは、このような行事というか、時期の物事があるのでしょうか。 一年中暑い、あるいは逆に寒い地域にはないだろうし、雨ばかりの国、あるいは乾燥した国にもないでしょう。少なくとも、季節の移り変わりがなければ、ないのでは。それとも、日本人独特の感じ方、楽しみ方なのでしょうか。

  さて、今年の夏は異常気象で、やたらと暑かったせいか、早く涼しくなって秋が来ないかなあと、日本中が首を長くして待っていたところだと思いますが、お彼岸の頃にも真夏日が現れるなど、秋はなかなか訪れてくれませんでした。10月に入るとやっと気温も下がり、秋を感じるようになったところですが、今年の秋、これまでのところ、みなさまはどんな秋を体験されたでしょうか。ちなみに、私は、いつもの年に比べ、「芸能・音楽鑑賞の秋」でした。

  その一つをご紹介させていただきますと、御歳81歳、小沢昭一さんの「随談」独演会というものを県民ホール小ホールで見、聞かせていただきました。まだ、私が20代後半の頃、車通勤での帰り道、ラジオを付けていると聞こえてくるのが、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という10分程度の番組。軽妙な話し振りと、私にはどこかノスタルジックに聞こえる声が楽しく、ほとんど毎日聞きながらハンドルを握り、家路についていました。

  50代後半から、昔のことや、古いこと、伝統的なことなどに関心が向き始め、つい数年前から、歌舞伎鑑賞も始めたところですが、小沢昭一さんのことは、かねてから一度舞台を拝見したいと思っていたものです。

  その小沢さんの舞台、第一部は、演歌の始まりは何か、のお話で始まり、明治期から戦前までの歌を、第二部は、お得意のハーモニカを片手に登場し、戦後の歌と、そして大好きだったという美空ひばりの歌の他、ハーモニカ演奏を、おとぼけとウイットをとり混ぜた話芸で繋ぎながら、ご披露してくださいました。休憩を挟んで2時間を超え、また、第二部は立っての舞台でしたが、終始、会場を笑いに包んで幕となりました。やっぱり、見、聞いて良かった、面白かった、本物は違うなぁ、とひとりごち、人を楽しませる幅の広さを見て、昭和の芸人だと改めて感じました。

  ところで、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」というラジオ番組は、1973年にスタートし現在も続いている長寿番組とのこと。ただ、今の放送時間は昼間に変更されていますが(神奈川県内でのことですが)。その番組の〆方にならって今回のひとり言を〆てみると「明日も、晩秋のこころだぁ~」ですが、もっともっと秋を愉しんで冬を迎えたいものです。

松藤 静明


2010年10月4日 「平城京、下町?ミニ散歩」

  今年は、藤原京から平城京に都が遷されて1,300年、奈良県は今年いっぱいその記念のお祭りを盛り上げている。メインは、平城宮跡会場であるが、こちらは、来月7日までが会期となっている。そんな奈良を、メイン会場オープン直後の4月25、26日の2日間訪れてみた。

   私にとって、約40年振りの奈良、それこそ右も左も分からない。そこで、ガイドブックの地図を頼りに、まずは、旅行荷物を預けるべく、本日宿泊予定の旅館を目指す。スタートの近鉄奈良駅は地下駅、地上に出てキョロキョロ。繁華な雰囲気の中にも、どこか古(いにしえ)を感じさせるものが。目に映る景色と地図とを合わせようと必死になっていると、近くに、奈良時代に活躍した僧、行基の立像が見える。噴水もあるこの場所は、奈良ではよく知られた待ち合わせ場所とのこと。ここから、旧市街を代表する商店街―老舗の立ち並ぶ東向商店街を抜け、三条通りへ。左に折れると猿沢の池、かなりの人出があり、散策や休息を楽しんでいたが、池には鯉などのほか、何よりも沢山、小型のカメがいた。周囲約360メートルの池を半周した辺りで、目的の旅館を見つけ、荷物を預けて、街中(まちなか)散策へ。

  街中の道は狭く、車のすれ違いはできそうもないものが多く、しかし、東西南北、ほぼ格子状に造られ、方向感覚を失うことはない。屋並みも低く、神奈川の古都・鎌倉とは異なる。どこの都市にでも見かけるような中高層のビルはなく、見上げれば、どこにも青い空が、寺社の塔を抱いて広がっている。そんな路地が町中(まちじゅう)を巡っている感である。暫く歩いた後、昼食をとったが、そこは、築170年、江戸末期の古い商家を改装したとのこと。室内には、硝子がはめ込まれた引き戸があり、明治期のもので、その硝子は手仕事で作られている由、表面は微かに波打っており、不思議な温かみがある。割ってしまうと、もう復元はできないだろうとのこと。貴重なものだ。また、この建物には、ライブ・バーやコミュニティFM局も入っており、FM局は、「ならどっとエフエム」のサテライトスタジオで、地域に密着した番組を提供しているとのこと。地域情報の発信は、街づくりにとって大きな力だが、この運営は大変ではないのかなぁ、などと、何故か勝手な思いにとらわれていた(FM局の方、ごめんなさい)。さて、腹ごなしに散策を再開。歩き始めて間もなく、塀に、三筆、橘逸勢が云々、と書かれたポスターが目に止まる。三筆って、弘法大師とかだよなあ、などと思いながら、門を潜って中へ。余り広くはない境内だが、お社が幾棟か見てとれる。そして、小さな花壇があり、よく手入れがされて、牡丹の花が綺麗に咲いていた。南都御霊神社とのこと。幾人かの歴史上の人物が祀られており、橘逸勢もその一人とのこと。二礼二拍手一礼でお参りし、散策を続けた。

   この辺りには、道祖神や江戸期の庚申堂、伝統的な町家を再現した「ならまち格子の家」などもあり、時間があっという間に経つようである。歴史とともに街並みがある、奈良散策スタートの印象である。その後、東大寺、翌日には、平城宮跡と新たに造営された朱雀門や大極殿、薬師寺などを巡ったが、東大寺二月堂から臨んだ奈良の町を、またブラリとしたい、と思っている。

松藤 静明


2010年9月2日 「継続は力なり」

  我が国には、創業百年を超える企業が、約2万社あるといわれており、国際的に見ると、その数は群を抜いていると言われている。今後の企業支援を検討する上では、我が国に多くあるという理由を知りたいものだが、今ひとつ、はっきりとはしていないようだ。百年というと、少なくとも3世代、多くは、4世代以上にわたり、経営をバトンタッチしてこられているのではないだろうか。いずれの企業も、社会情勢の変化に対応しながら、事業活動を維持、発展させ、今日があるわけであり、様々な形で「継続は力なり」を実践してこられたのではないかと思う。何事もあきらめず、続けていくことが、成果に結びついていくという、努力と時間との重さを持っている。

  似かよった言葉で「三日坊主」や「石の上にも三年」は、よく両親から、遊び呆けてなかなか勉強しない私への小言として聞かされていた気がするが、「継続は力なり」の言葉は、何故か、今、少し違った雰囲気というか、それこそ力を持つ言葉のように感じている。

  この「継続は力なり」であるが、ことわざなのか、何かの格言なのか、何時頃から使われてきたのだろうか。或いは誰かの言葉なのだろうか。

  出来の悪い、かつ、劣化進行中の我が脳みその中をかきまわしてみると、私事になるが、息子が小学生に入っていた地域の少年サッカークラブの15周年記念誌に、この言葉が出ている。平成3年のことである。2つの小学校の校長先生が、それぞれにお祝いの言葉を寄せていられるが、続けることの大変さと大切さをこの言葉に託して、子供たちへのメッセージを残されている。この頃からかなと思い愚妻に話すと、彼女の中学時代、お坊さまもしていた学校の先生から聞いた記憶があると。かれこれ45年前、昭和39年頃のことである。一挙に遡り、う~ん、かなり前からのことだなぁ、と思う。

  無駄な知力発揮はそこそこに、インターネットで調べてみると、「人口に膾炙するこの格言の出典が、大正から昭和初期に広島で活動した住岡夜晃という宗教家の詩であることは、あまり知られていません」とある。そして、彼の詩を紹介しており、一節に「念願は人格を決定す 継続は力なり」とある。そうであるならば、ことわざ、格言のたぐいではなく、詩の中から生まれたものとなる。宗教家の言葉とのことで、深みを一層感じているところである。


   さて、一転して、企業の経営では、「継続」は「マンネリ」につながることもあります。注意すべきは、継続するものと、しないものとの見極め。何でも継続していては、コストもかかって、身も持ちません。日々改善しながらの継続。視点を変えて、make newのイノベーション、いずれも企業経営、組織運営にとって、ポイントではないでしょうか。慶応義塾大学の村田先生の言を思い出しながら、まとめてみました。

松藤 静明


2010年8月2日

  野口聡一さんや若田光一さんたちが、空の彼方で活躍されていた影響だと思うのだが、ここのところ「宇宙もの」に目や耳がいってしまう。

  まずは、「はやぶさ」。2003年5月に地球を出発、本年6月帰還するも、カプセルだけを残して、大気圏で燃え尽きた。その様子はテレビでも放映され、その際の光の軌跡と輝きには、心底、驚かされた。地球から3億キロ離れた小惑星イトカワまで、往復飛行距離60億キロ、予定より3年長く、7年に及ぶ旅の終わりである。この間、「はやぶさ」は姿勢制御装置の故障やエンジン系統のトラブル、通信途絶など数々のアクシデントに見舞われている。これらを克服できたのは、設計段階で自動復旧システムを取り入れた設計陣の力と、この7年間、「はやぶさ」を電波の力で常に見守り、様々な、かつ的確なコマンドを送り続けた運用陣の力が一体になった結果である。また「はやぶさ」の活動には幾つもの世界初があるとのこと。日本の技術の高さと先端性が、改めて、私たちひとり一人に、メッセージを送っているのを感じる。

  二つ目は、先日、町工場のおっちゃん・青木豊彦さんの講演を聞く機会に恵まれた。ご存じのとおり、昨年1月、小型人工衛星「まいど1号」を成功させた有限責任事業組合「航空宇宙開発まいど」の代表者である。東大阪の中小企業が集まり、その技術の総力をかけた「まいど1号」づくりの取り組みを、ご自身の経歴や中小企業の経営者、さらには、地域社会に生きる一個人としての思いなどと併せて、河内弁でお話いただいた。会場の笑いを誘い、時にはホロリとさせられながらの素晴らしい時間であった。青木さんたちは「若い人に産業の担い手になってもらい地域を活性化する」という夢を持ち、そのためには、「中小企業も夢のある仕事をせなあかん」というデザインをしたのである。その一つのデッサンが、人工衛星であった。以前、青木さんがテレビのインタビューに答えられていたのを覚えている。正確な表現ではないが、「夢を打ち上げられましたね」との投げかけに、青木さんは「夢を打ち上げたんやない、夢で打ち上げたんや」と。次には、どんなデッサンを見せてくれるのだろうか、と期待している。

  この原稿を書きながら、以前、寝転んで「青空に流れる雲」を見ていたら、宇宙船「地球号」に乗っている感覚を覚えたことを、思い出している。

松藤 静明


就任にあたって(2010年7月1日)

   三日、三週間、三ヶ月という、知る人ぞ知る慣用句があります。数字の慣用句には、この他にも十月十日、十年一日などもありますが。当センターの理事長に就任し、そろそろ一ヶ月が経過しようとしています。この慣用句は、トップであれば、三日どころか、三時間でと言われることもありますが、中間の職責では三週間、新人社員では三ヶ月というのが、業務を把握し、力を発揮してもらうために許される期間であるとのことです。この期間が長いか、短いかは、事業や業務の内容により違いがあるところでしょうが、一日でも早く、というのが、会社や周囲の人間ばかりでなく、本人の気持ちでもあると思います。組織の変更、職員の交代があると、つい、考えることです。

   さて、先日、当センターの21年度の事業報告がまとまりましたが、これによれば、昨年度の経営相談件数は8,100件余、受発注商談・開拓件数は 6,400件余で、併せるとこの二分野だけで14,500件を超える支援をさせていただいたことになり、それだけ多くの企業の方々と、お話をしたことになります。センターが提供した支援として、十分に成果のあがったもの、あるいは、もう一息のものもあったと思います。今年度は昨年の上に立って、より多くの企業の方々にお会いし、そしてたくさんの成果が生まれるよう、センター職員一丸となって取り組んでまいりますので、よろしくお願いいたします。

松藤 静明


お問合せ先お問合せ先
担当
財団法人神奈川産業振興センター 総務・企画部 経営企画室
住所
〒231-0015横浜市中区尾上町5-80
TEL
045-633-5201
FAX
045-633-5222
E-mail
このメールアドレスはスパムボットから保護されています。観覧するにはJavaScriptを有効にして下さい